中世哲学

中世哲学の特徴、注解、課題などを簡単に説明しています。

中世哲学の議題 - 論理学

偉大な論理学史家ユゼフ・マリア・ボヘンスキー[48]は中世を論理学史における三つの重要な時代の一つとみなしている。中世の論理学は必ずしも哲学的考察と明確に分離されておらず、むしろ「言語哲学」と表現すべきだという意見が一般的であるという[49]。現代哲学におけるそれと位置づけは大きく異なるが、現代に劣らず中世も言語哲学が非常に盛んな時代であった[50]。
カロリング朝ルネサンスの時代には、論理学の標準的なテキストとして『十の範疇』が使われていた[51]。この本は、アリストテレスの『範疇論』のラテン語での梗概に量・空間・ウーシアとその他の範疇との関係に関する批評を付録としたものである[52]。本書をアルクィンらが誤ってアウグスティヌスに帰したため、その著者は今日では偽アウグスティヌスと呼ばれている[53]。偽アウグスティヌスはテミスティオス(英語版)(317年-390年頃)周辺の人物であったと考えられている[52]。11世紀初めまでには『範疇論』のボエティウスによる翻訳・注釈が一般的になり『十の範疇』に取って代わった。ラテン語のテキストを口語(古高ドイツ語)に翻訳したノートカー・ラベオーも偽アウグスティヌスの『十の範疇』ではなくボエティウスの翻訳・注釈を口語に訳している。ノートカーは他に、アリストテレスの『命題論』、ボエティウスの『哲学の慰め』、マルティアヌス・カペッラの『文献学とメルクリウスの結婚』を古高ドイツ語に訳している。また、ノートカーは三段論法に関する論文を作成したがこれはラテン語で書かれた。しかし、フルリのアボンが三段論法に関してノートカーに先駆けてノートカーより高度な理解を示していた。
11世紀のキリスト教徒たちは異教哲学全体に対するのと同様論理学に対しても敵意をもって取り扱ったと歴史家たちはしばしば論じるが、それは適切ではない、とジョン・マレンボンは言っている。彼によれば、異教のテキストはたまたまキリスト教と矛盾しない場合にのみ受け入れられたのに対して、論理学は上述のランフランクスのように用いるのが不適切な分野では論理学を用いるべきでないといった程度の扱いだったという[54]。ペトルス・ダミアーニも論理学を軽蔑していたかのように扱われてきたが、その著書『神の全能性について』では神の全能性について語るのに論理学がどの程度まで適用できるのかが深く吟味されている[55]。ボエティウスの『哲学の慰め』第5巻の議論に基づいてダミアーニは、永遠において存在する神に対して過去、現在、未来といった時制を持つ人間の用語を当てはめるのは不適切だと主張している[56]。また、論理学は陳述の帰結にのみ関わっており、ものの性質や本性にはかかわりがないという考えにダミアーニは到達していた。8世紀や9世紀には論理学・形而上学・神学を混同した議論が横行していたが、論理学的知識が増大したことで11世紀にはそういった混同が見られなくなった[57]。
スコラ学の創始者とされるアンセルムスは「理解するために信じる」を標語とし、宗教的真理を論理的に正しい推論形式で表すことをもくろんだ。その試みは『モノロギオン』、『プロスロギオン』、『なぜ神は人間となられたのか』、『調和について』といった彼の著作で詳らかにされている[58]。また、上述した彼の神の存在の存在論的な証明は近世のヒュームやカントによる論駁を待つまでもなく同時代のマルムティエの僧ガウニロに批判されており、彼はこの批判に対して十分に再反論できなかったが、この批判がきっかけで、あるものの定義を知っていることと、あるものそれ自体を知っていることの関係を考察した[59]。アンセルムスの著書中には神の存在証明の他にも詭弁や混乱した議論が見られるが、それら自体がアンセルムスの論理学に対する高い素養を示している[60]。ただ、アンセルムスはアンセルムスは以前の時代の学者たちと違って論理学を神学や形而上学と混同することはなかったものの、論理学を道具としてのみ扱い論理学それ自体に対する探究を行うことはなかった[61]。
アベラールの時代から14世紀の半ばまで、スコラ学に属する著述家たちはアリストテレス論理学を顕著な程度まで洗練・発展させた。初期には、ピエール・アベラールのような著述家が古典論理学の著作(アリストテレスの『範疇論』、『命題論』、そしてポルピュリオスの『エイサゴーゲー』)の注釈書を著した。普遍が物であるという、古代から彼の同時代まで様々な人が唱えた主張全てに対してアベラールは重要な反論を行っている。ただ、アベラールは普遍が言葉であると断定しているが、ここで言う言葉は単なる音としての言葉ではなく意味を持った言葉である。そのため、普遍が言葉であると決定した後には、その言葉がどのようにして、何を意味表示しているのかということがアベラールの課題となった[62]。この課題に対して古代のアプロディシアスのアレクサンドロスボエティウスが普遍は感覚的なものに基づいた考えであるとみなしたのに対して、アベラールは、普遍は感覚的なものを指す言葉というよりむしろ感覚的なものの存在の身分を指す言葉だと考えた[63]。
さらに後には論理学研究の新しい局面が起こってきて、新たな論理学的・意味論的理論が発展した。中世の論理学の発展に関しては、インソルビリア(英語版)、中世の様相理論、義務、代示理論、中世の単称命題の理論、三段論法、ソピスマータ(英語版)を参照。他に中世に論理学に貢献した重要な人物として、リクマースドルフのアルベルト、ジャン・ビュリダン、ジョン・ウィクリフヴェネツィアパウルス、ペトルス・ヒスパヌス、リチャード・キルヴィングトン、ウォルター・バーレイ、ヘイツベリーのウィリアム、そしてオッカムのウィリアムがいる。

 

参照:Wikipedia中世哲学

 

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中世哲学の議題 - 倫理学

中世倫理学の重要な発展の詳細に関しては、中世の良心の理論、実践理性、中世の自然法の理論の記事を参照。
この分野の著述家としては、カンタベリーのアンセルムス、アウグスティヌスピエール・アベラール、ドゥンス・スコトゥス、ペトルス・ヒスパヌス、トマス・アクィナス、さらにオッカムのウィリアムがいる。政治理論の著述家にはダンテ、ジョン・ウィクリフ、そしてオッカムがいる。

 

参照:Wikipedia中世哲学

中世哲学の議題 - 心の哲学

中世の心の哲学アリストテレスの『霊魂論』、いわば12世紀に西方ラテン世界に再紹介されたもう一つの作品に基づいている。心の哲学は自然哲学の一分野とみなされていた。この分野で議論された問題のうちのいくつか:
・神の光 - 神の光の教義は古く、重要な自然主義の代替物である。そこでは、人は普段ものを考える際に神からの特別の補助を必要としていると考えられている。この教義はアウグスティヌスおよびスコラ学派のうちの彼への追随者にもっとも強く関係している。近世においてもこの教義は別の形で再登場した。
・論証の理論
・心の表象 - 精神状態は「志向性」を持っているという考え;つまり、「精神状態であるにもかかわらず、それらは心の外部のものを表象することが可能である」というのは近代の心の哲学に固有の問題である。しかしそれは中世哲学に起源をもつ(「志向性」という言葉はフランツ・ブレンターノによって復活させられた。彼は中世の用法を表そうとした[64])。オッカムは、言語は第一に慣習によって精神状態を表し、第二に実在物を表すのに反して対応する精神状態は必ずそれらの実在するものを表すという理論を提唱したことでよく知られている。[65]
この分野の著述家としてはアウグスティヌス、ドゥンス・スコトゥス、オートルクールのニコラ、トマス・アクィナス、そしてオッカムのウィリアムがいる。

 

参照:Wikipedia中世哲学